特有成分カルコンたっぷり!
農薬、食品添加物 不使用明日葉100%
東京都三宅島 西野さんの明日葉茶
通販・お取り寄せ
秦の始皇帝が探し求めた
伊豆諸島原産の野草農薬を使わず
ミネラル豊富な土壌で育つ三宅島の明日葉
明日葉は、当帰(トウキ)・独活(ウド)・茴香(ウイキョウ)などと同じセリ科の植物です。原産地は八丈島とされており、同じ伊豆諸島の三宅島でも古くから自生しています。
島全体が火山灰に覆われている伊豆諸島では、昔は緑黄色野菜がほとんど採れませんでした。それでも昔から島民がビタミンなど栄養不足にならなかったのは、潮風にのって海水が降り注ぐミネラル豊富な環境で育つ明日葉があったからです。
一説によると、そのパワーを知った秦の始皇帝が探し求めて手に入れたとされ、本土でも江戸時代から様々な用途で珍重されていました。
明日葉は病害虫に非常に強いので農薬を必要としません。さらに三宅島には周りに農薬を使用している大規模な耕作地がないので汚染も皆無です。
2000年火山噴火
4年5ヵ月に及ぶ全島民避難
産業と働き手を失った伊豆諸島 三宅島
東京から南へ約180km。伊豆諸島七島の真ん中に位置する三宅島は、総面積55k㎡・周囲36kmほどでほぼ円形です。
島全体が富士火山帯に含まれる活火山で、これまで20年周期で噴火を繰り返してきました。近年発生したのは2000年の雄山山頂噴火。6/26に起きた群発地震に始まり、9/2には全島民に避難指示が出されました。
避難前の島民は約3800人。その後2005年2月1日に避難解除されましたが、帰島したのは2/3の約2500人でした。
問題はその人数だけでなく、年齢別に見ると40歳以上が7〜8割、39歳以下は4〜5割。つまり若い世代の半数以上が戻らなかったのです。
火山灰が降り積もり
雑木林になった農地を開墾
6,000㎡を明日葉畑に変えた西野直樹
1952年大阪府出身、西野農園代表 西野直樹氏は1976年に東京水産大学(現:東京海洋大学)を卒業。その後、1981年に勤めていた商社を退職し、三宅島に移住しました。
2000年の三宅島火山噴火以前は、約3,500㎡のビニールハウスで観葉切り葉の市場出荷とユリの産地直送など施設花卉栽培で生計を立てていましたが、全島避難解除後に帰島した時には、施設が全て倒壊。さらに火山ガスの影響で観葉切り葉の栽培は出来ず、航空便がなくなったためユリの産地直送もできなくなりました。
そこで新たな産業を模索していた時に着目したのが、ビニールハウスなどの設備不要で、火山ガスの影響を受けず、噴火後も三宅島に自生していた明日葉です。
明日葉は収穫してそのままでも出荷できますが、西野さんはより流通しやすく付加価値を高めるため乾燥加工を行うことにしました。
火山灰が降り積もり、雑木林になった農地を開墾して13年。(2019年現在)
生い茂る草や直径40〜50cmにもなった木々を伐採伐根し続け、現在は6,000㎡の土地で年間50tの明日葉を生産しています。
余計な手間は加えず、自然のまま育てる
明日葉は肥料を施さなくても育つので、耕した畑にそのまま明日葉を植える農家が多いです。
しかし本来は、比較的栄養を多く要求する植物です。そのため西野さんは明日葉を植える前に必要最低限の肥料を撒いています。
そのひと手間を加えることで、より葉が厚く色濃く育ちます。実際、西野さんの明日葉は生の状態でも10日〜2週間は日持ちします。
収穫から24時間以内に加工
西野さんの明日葉茶は
原料の鮮度が違います
明日葉の収穫期は主に春と秋。西野さんの明日葉は、収穫した日の夕方か遅くても翌日の朝には洗浄・裁断しすぐに乾燥工程に入ります。
これは三宅島に工場を建てて栽培から収穫、加工を一貫して行っている西野農園だからこそです。その際に一つ一つ目と手で確認を行い良くないものはすぐに破棄します。
原料が農薬の影響を受けていない新鮮で状態が良い明日葉であることが、苦みや嫌なクセのないマイルドな味わいに仕上がる大きな理由です。
人工甘味料・着色料・保存料・香料・安定剤など
食品添加物一切不使用
西野さんの明日葉茶は、新鮮な明日葉を40度で低温乾燥した後、加熱水蒸気殺菌・粉砕することで完成します。人工甘味料・着色料・保存料・香料・安定剤など余計なものは一切使用しません。西野さんが育てた明日葉100%の粉末です。
栄養価がすごい!
茎から溢れ出る黄色い液体が明日葉の特有成分カルコンです。
明日葉にはこんなに多くの栄養成分が含まれています。※可食部100gあたり
参照:日本食品標準成分表2015年版(七訂)
「今でも三宅島で、農業で他産業並みの所得を
得られることを証明したい」
2000年の三宅島火山噴火後、西野さん家族は八丈島に移りました。4年5ヵ月間でユリ栽培の産地直送販売は多くのリピーターが付くほどうまくいっていましたが、西野さんは全島避難が解除されると真っ先に三宅島に戻り、その地で復活しようと決めました。
「37年前に移住してから多くの島の方々にお世話になり、土地も借りて生活・仕事・子育てができた。仕事も軌道に乗って家も建てることができた。今も三宅島への愛着が大きい」(西野さん談)
昔は農業で多くの人が生計を立てていましたが、今は専業農家では生活出来ないというのが一般的で事実です。
その三宅島で、農業で他産業並みの所得を得られるということを証明し、昔のような活気を取り戻すこと。そして、島の魅力を多くの人に知ってもらうことが、西野さんが三宅島で明日葉をつくり続ける理由です。
(株)食文化 梶 央